前言撤回日記

風雨光

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友人が銀座で開いている個展のオープニングパーティにおジャマしてきた。

蛯子真理央展 ―風のなか、雨のなか、光のなか― (東京本店) : 日動画廊 展覧会情報

普段ここで友人知人として特定の個人に言及することはないのだけれども、とてもいい絵を描くので本人に断りもなく紹介させていただきます。

画風としてはリンク先にもある通り、パリや南欧の風景、静物を中心とした、いわゆる印象派のジャンルに入るかと思う。正確な筆致で細密に描くのではなく、その場の光や空気を大胆な筆遣いで素早く画布に定着していくスタイルである。
まともに絵を描いたことのある人なら理解できると思うが、これは言葉で言うほど簡単な事ではない。しかも彼はこれを半ば以上現場で行う。

だがひとまずそういったテクニカルなことは置いておいて、絵として純粋に魅力的だ。グレイッシュな淡いトーンに暖かいバラ色が多用されるやわらかな色彩を見ると、窓の向こうにはこんな風景があって欲しい、さらに言えば、ここに行ってみたい、とさえ思う。
抑制のきいた表現が見る者の記憶と絡み合い、リアリティをもって立ち現れてくる。
いくつかあった静物画も、小品ながら光線の描き出し方が実にいい。

また、彼の展覧会は幾度となく観ているのだけれども、そのスタイルもまた観るたび少しずつ変化していておもしろい。
具体的には以前よりもさらに抽象度が弱まり色彩や輪郭が明瞭になってきている事と、絵具ののりが厚みを帯びて力強さが増しているあたりに顕著で、これらはモロッコの強烈な日差しのもとで描いた経験がもたらした変化のようだ。

個人的にたいへん前途有望な画家の一人と思うので、お金のある方は札束を握りしめて、そうでない方もまあちょっとした目の保養に画廊へとお運びになってはいかがかと思う次第。

展覧会場を後にしてからは画家本人や関係者に混じり、二次会などに参加させてもらった。
共通の友人たちとの再会もあり、また他の画家の方との交流もあって楽しいひとときでした。多謝。

tha

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NOW UPDATING… THA/中村勇吾のインタラクティブデザインに行ってきた。
毎回、高度なクリエイティブで観る者を魅了し同業者をビビらせる、中村勇吾さん率いるtha社の初の展覧会である。

ネットで観られる物をわざわざ展示? といぶかる向きもあるかもしれないが、そこは他ならぬtha社。展示用にオプティマイズとチューニングを施して、心地よい展示に仕上げてある。
また、ネットではお目にかかったことのないコンテンツもあり、実験的な物なのかもしれないが非常に楽しめた。

もう終わってしまったので多少ネタバレ的な事を書いても誰も怒らないだろう。

会場はggg(ギンザ・グラフィック・ギャラリー)。地下と一階が展示会場である。
もう何度も観たおなじみのコンテンツが、これが意外なことに縦長のディスプレイに表示され、新鮮な趣を見せていた。

一階の展示はインタラクティブ系のコンテンツで、ユーザの引き起こすイベントによって反応するタイプの展示が中心。最近ローンチされたモリサワのFONTPARK 2.0 | MORISAWAなどもあった。もうこの辺になると何をどうやって作っているのか検討見当もつかない。

地下の展示は時計をモチーフに各コンテンツを同期させ、クロック音を流し続けたり一定の時間ごとに時報と共にすべての画面を社名ロゴへ切り替えるなど、独特の空間を演出していたのだが、これもまた効果的であった。
どう効果的かといえば、これらのコンテンツは観客がいつまでも見入ってしまうようなトランス的な状態を狙って作られているので、うまくいけばいくほどリアルの会場では人が流れない。
それが時報が入ることで画面から離れて次の作品に目を移すきっかけが与えられ、結果として人の停滞を抑制することができるワケだ。非常によく考えられている。

とにかく全体的にクオリティが高く、ここまでやるのか……というカンジ。
依頼する側にも覚悟が必要なレベルだ。

顔認識を使ったコンテンツはネットでは未公開かな、と思うけれども、これもなかなか(文字通り)入り込んでしまう作品だ。
備え付けのカメラから閲覧者の顔を取り込んで既存の人物写真にはめ込む、という物だが、エレベーターホールに鏡を設置したら待ち時間の長さに対する苦情が無くなった、みたいな話があるくらいみんな自分の顔には愛着があるから、誰でも楽しめるだろう。
ただし一度自分の顔が取り込まれると、次の閲覧者の顔で上書きされるまでさらされ続けるので、公共の場ではいたたまれなくなる可能性もある。いや僕の話じゃなくて。

引用β(このネーミング、信用ベータへのオマージュ?)はWeb版ともスクリーンセーバーともずいぶん体裁が違ったが、この風格のある活字風のフォントはいいなあと思った。このあたりもすごく勉強しているようで、ひたすら感心する。すぐれた表現の裏に膨大なバックグラウンドがあるのだろう。


あと、この展覧会をきっかけに、改めて前田ジョンさんの偉大さを思い知らされた。
展示されているコンテンツの多くに、彼のダイレクトな影響が見て取れ、その洞察や創作がいかに根源的でありながら斬新で、人を引きつけるようなアイデアに満ちていたか、再度考えずにはいられない。
Maeda’s SIMPLICITY

サイゴン

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ワタナベアニさんと池田昌紀池田晶紀さんの写真展「ふたりのサイゴン」に行ってきた。

カオティックなサイゴンの情景をカオティックなままダイレクトに差し出す池田さんとエレガントに切り取ってみせるワタナベさん。対照的なおふたりのサイゴンを見せていただく。

共通して「狙って撮った」というより「出会って撮った」といった趣で、展示の仕方としてはライブ感覚寄りな池田さんに対してワタナベさんの方は(ご本人もおっしゃってましたが)組写真で意味を浮かび上がらせるようなアートディレクター寄りな方向。

「海外に行ってちょっと面白い物撮ってきた的な写真」にならないように気を付けてチョイスした、との事だが、同時にこの方法だと瞬発力だけになりやすい、という分析も鋭い。
作為やあざとさ、ケレン味をいかにインペーするか、またはロシュツするかのコントロールは表現の上では重要な課題になるはず。
また、じんわりくる種類の写真は難解になりやすいので間口をどう拡げるかという点も難しい。

事前にトークショーも予約してあり、こちらは常磐響さんを交えて「さんにんのサイゴン」というテーマでのゆるゆるトーク。
どのくらいユルいかというと、途中でスピーカーの2/3がトイレのために中座するというサイゴンなみ(たぶん)のユルさ。

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ワタナベさんと常盤さん

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池田さん

池田さんは文字や文章にあまり興味を持つタイプではないそうで、そういう人が自分の行為やら考えやらを言語化するトークショーというイベントに出演するのだから何かと危なっかしいワケであるが、さすがワタナベさんと常盤さんは生来の頭の回転と年季の入った落ち着いたトークで自らの体験や考察を語っていて楽しかったし、うなずけることも多々あった。

常盤さんの「撮ることを街に許されてる感じ」や「先の事は分からない、ようやく2〜3年前の事が分かるようになってきた」はふいに出た言葉だと思うけれども共感を覚えたし、ワタナベさんの「一日6GB撮っても、なぜ8GB撮れなかったのかと思う」という言葉や「写真の選択は二度目の撮影」という引用には「ああ、ワタナベさんは映像の人であるなあ」と思ったりした。

昨年の「ふたりの上海」には行きそびれたのだが、パンフレットが買えたのでよかった。
今回のパンフレットには写真が一葉ついてきて、裏面を見ると直筆のサイン。細やかなサービス精神がうれしい。

来年はヨーロッパだそうで、やる方も楽しみだろうが見る方も今から楽しみなのであった。

ANNIE LEIBOVITZ

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ブログの投稿ができなかったしばらくの間の出来事もいくつかメモしておこうと思う。

2月に劇場公開された映画『アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生』を公開直後くらいに観た。
ジョン・レノンが射殺される直前にヨーコと共に撮影した写真、妊娠中のデミ・ムーアのヌードなどで有名な、写真家アニー・リーボヴィッツの半生を描いた作品で、彼女の妹であるバーバラ・リーボヴィッツが監督・制作を担当している。

感想らしい感想はとくにないのだけれども、アニーは今もってパワフルですごいなあ、というカンジ。

アニーの恋人スーザン・ソンタグの本は「他者の苦痛へのまなざし」しか持っていないが、彼女の厳格な言葉の運用と冷徹な批評、妥協を許さない強い意志がそこにはあった。
おそらくスーザンとの生活が快適な心安らぐだけの物でなかったろう事は想像できる。
そのスーザンと正面から向き合う事によって、アニーは自らの写真に対する哲学を構築していったのだろうか。

アニーの仕事ぶりをかいま見て、撮影時に相手に話しかけ続けていたのが印象に残った。
また、撮影前に完璧に準備を整えて短時間で撮影を完了する彼女のスタイルはかなり参考になる。むろんそれには経験が必要だとは思うけれども……。

関係者のコメントをエンディングに持ってきた演出はすばらしい。

若冲

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ようやく「プライスコレクション 若冲と江戸絵画展」を観てきた。
ひと月もやっていたので何度か観られるかと思ったら全然行くヒマがなかった。残念ながら27日で終わりだ。

閉館まで間がなかったので、お目当ての伊藤若冲を中心に鑑賞。
実物を観るのは初めてだが、いやスゴイ。TVのお宝鑑定団なんかでたまに若冲の贋作が登場するが、大概、どこをどう見たら若冲なんだよ!と突っ込みたくなるような代物ばかりだ。
実物を見た経験のない僕ですらそう思ってきたワケだが、今回ホンモノを目にしてやはり圧倒された。
同時に展示された他のコレクションと引き比べても、その存在感は驚異的。
これを18世紀の日本の画家がものしていた事実に驚く。

見たものでなければ描かない、と豪語するその筆致は正確かつ緻密な超細密画。
それでいながら構図はあくまで大胆。チケットやポスターなんかでは切り抜きで扱われることが多いが、ぜひとも全体を観て、その粗密の妙を味わうべきだ。

そして意外なのが単色の墨絵。

手垢まみれの表現で申し訳ないのだが、迷いのない筆さばきで一気呵成に描かれた力強い線が表現する大胆なデフォルメーションは圧巻である。そしてその中にも「筋目描き」と呼ばれる薄墨の技法を織り交ぜた独特な作風はかなりの修練を積んだものと想像させる。
家業から早々に隠居して、仕事もせずにノンビリと絵を描き暮らした江戸時代のぼんぼん、といった僕の若冲に対するイメージは吹き飛んだ。

もうひとつ特に印象深いのが、こちらは若冲以外の作品がほとんどなのだが、作品を照らす照明をおそらくはコンピュータ制御して、暗い室内からさわやかな朝日、柔らかな黄色を帯びた黄昏の光などへゆったりと調光して見せる展示。

光の角度も次々と変えながら、電灯のなかった昔の室内環境を再現していた。

これらが描かれた当時は当たり前のことだが自然の光か蝋燭や行灯の明かりしか室内照明はなく、したがって個々の作品も煌々と光るタングステンライトの下にさらされる事を前提としていないのだ。

薄暗い照明の下でボンヤリと浮かび上がる金泥の鈍い輝きはなるほど幽玄。それが西日のような黄金色の光に当たると鮮やかにきらめき、楽園の光景のように見える。

これは谷崎潤一郎にでもヒントを得ての展示かと思ったら、本家プライス邸でも建築家バート・プリンス氏の手になる展示空間でオートマティック・ブラインドなどで照明に工夫を凝らされて飾られているのだそうだ。

「判ってる」人に買い上げられた作品は幸せだ。そう思った。

Gの伝説

コマフォトで見たんだけど、この写真いいなあ。

visual solution produce | amana

(上記のURLからそのページに行くには一旦トップページにアクセスしておく必要があるみたい。めんどくさい。)

で、その肝心の写真、プラモデルとの合成らしいっす。
モデルさんがまたキレイなんですが、それだけでなく指先の表情なんかにも非常に惹かれました。
抑えめの色調ながら瑞々しい緊張感があっていいカンジです。ナイス。

MOVE

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以前エントリーしたスイカの改札機でも有名な山中俊治さん率いるリーディング・エッジ・デザインの展覧会を見に、青山へ。
前から見たいと思っていた「Hallucigenia」や「Cyclops」の実物が見られてうれしい。

それにしても、もはやデザイナーとか技術者とか科学者とかの垣根を軽々と超越していて圧巻。
「Hallucigenia」の実演はちょっとした衝撃を受ける。通常1日3回程度しか動かさないのに、期間中はその10倍くらい稼働させていたらしい。「ほとんど耐久テスト」とおっしゃっていた人、おそらく山中さんご本人だろう。

「Afterglow」も色々と詳しい話が伺えて楽しかったっす。
その他の展示もいちいち興味深い。それにFlashやDirectorが携帯のインターフェース・シミュレータとして活躍しているのも(意外、というワケではないのだが)実際に見たり触れたりできて面白かった。

そして重要なのは、これらのプロトタイプのほとんどが、特に商品化を目的としているワケではない、という点だ。

やっぱワクワクしなくちゃダメなんだ。改めてそう思う。

個展

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午前中、何度も目が覚めつつも起きられず、けっきょく昼過ぎにどうにか起床。

最終日ギリギリの友人の個展を見に銀座へ。
彼の作品はコンセプチュアルなものではなく見て感じる事を要求されるタイプの絵なので、ここしばらく仕事でドハマりして左脳がオーバーヒート気味の僕には、バランスをとるにも丁度いいタイミングではあった。

内容としては前回よりいくぶん抽象度が弱まり、色使いも大胆になってきているカンジ。筆致にも躍動感がある。意図的な変化である事は間違いない。
僕は前回までの溶け出してしまいそうな淡いタッチの作風にも惹かれるモノを感じたが、商業美術ではないので外野の意見など聞き流して、エゴを貫き通して欲しい。貫き通して欲しいという意見さえも聞き流して欲しいという意見さえも(以下ループ)。

まあ、それはそれとして感覚的な受け止め方にとどめると「いいね」とか「よかったよ」とかいったバカみたいな感想しか出てこないものだ。
理解するには言語化のプロセスが不可欠なので、そのあたりも兼ねて終了後、喫茶店でケーキセットをつつきながらなるべく自分のコトバで感想を伝えてみた。

その際、一緒にいた別の友人がココを閲覧している事も判明。
今日も何ひとつ面白い事は書いていないのでいくぶん後ろめたい。
というか、転職経験がないのに勤め先が売却されてドンドン仕事が変わる彼の話の方がずっと面白いのだが。

行っちきたもんね

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三鷹市美術ギャラリー
にて「谷岡ヤスジ展」を見る。
一人だったため「鼻血ブー!」や「よ〜来ち下さいましたに」などの記念撮影はできず、少々残念。

原画や巻物状の自筆年間スケジュールなどの展示内容も興味深いが、なかでも第5部の「谷岡ヤスジギャラリー ?マンガと美術の境界?」は、谷岡ヤスジのマンガにおける絵画表現をストーリーから切り離し、アートとしての視点から再評価する試みで、とくに惹かれた。
今まで谷岡マンガをアートの視点から眺めた事はなかったが、確かに線、構図、余白やタイポグラフィなど、グラフィック的にもかなり完成度が高い。
本人は意識していたとは思えないが、広告表現の多くの手法が谷岡マンガの様々なコマに見られる。

意外だったのはデビュー前後は割とありがちな4コママンガで、絵もそつなくうまいんだけど、取り立てて特長のある画風ではなかったこと。
それが70年代に入ると突然、例のシュールで大胆なタッチへ変貌する。
作家に何があったのか。興味をそそられる。

それにしても、谷岡ヤスジの代表作を家人に問われて初めて意識したのだが、じつは僕は彼の作品をタイトルに関係なく「谷岡ヤスジのマンガ」としてしか認識していなかったようだ。
「ヤスジのメッタメタ ガキ道講座」とか言われても全然ピンと来ないのであった。

ンーム。

生ゴッホ

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東京国立近代美術館で「ゴッホ展 孤高の画家の原風景」を見る。
イマドキは予習しようと思えばすぐにネットで調べられるのでお手軽でありがたい。
前日の晩に「ゴッホ」で検索して一番に出てくるところを拝見、ゴッホの生涯と代表作品、それが描かれた背景などをいちおう頭に入れ、オフィシャルサイトで割引チケットをプリントアウト(笑)。

当日昼に出て東京駅に隣接したビストロ「東京食堂」でランチ。
シャトルバスが混んでいたのでタクシーで現場へ。
着いてみるとすごい人混み。平日でこれでは休日になったらどうなってしまうのか。

で、恥ずかしながらゴッホの作品を生で見た経験と言えば、バブル華やかなりし頃、安田火災(現 損害保険ジャパン)が買った「ひまわり」を本社ビルに見に行ったくらいであったので、ほぼ初体験に近い。

彼の生涯はその悲劇的な顛末と相まって完全に伝説化しており、作品もさぞや狂気の淵をのぞき込むような印象を与えるのだろうな、と思っていたが、実際は意外にほがらかな雰囲気。特にモネの絵画に出会って以降は画風も明るく、シニャックなどの点描技法や日本画の表現様式に如実に影響を受けながら、様々な実験を繰り返しつつ知的で誠実な創作を続けているように見える。
実際の生活の困窮は彼を苦しめ、消耗させただろうが、絵を描いている時だけは「描く」という行為にすべてを集中していたのではないかと思う。

チケットにも用いられているアルル時代の作品が評価が高いのだろうけれども、個人的にはサン・レミ時代の「サン=レミの療養院の庭」や「糸杉と星の見える道」に惹かれた。また最晩年の「ドービニーの庭」に見られる艶っぽいタッチは、極度の精神的疲労から「ほとんど筆が手から落ちそうになりながら」描き上げた、という本人の記述とは裏腹に、躍動感にあふれ、ゴッホ・スタイルの成就を見た、という感じがする。

その他にもシニャック、ゴーギャン、ミレー、セザンヌ、広重や英泉などのゴッホに影響を与えた作品や、「開かれた聖書のある静物」のモチーフになった父親の遺した聖書の実物などが展示されており、かなり充実した展覧会でした。

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